母親として、人としての在り方

私は3人の子ども達の母親で仕事をしています。

仕事上、たくさんのママたちと関わるなかでよく聞かれることを書いてみます。


「母としての子どもとの関わり方」「仕事のことをどう子どもに伝えているか?」という質問が多いので、「母親としての在り方」について、改めて考えてみました。

 

結局のところ私の中では、母親としての在り方=人としての在り方でした。

母親はこうあるべきという概念は私にはほとんどないようです。

 

そんな私が、子どもと関わる時に一番大切にしているのは、自分の心に正直であるかどうかです。

(スピっぽいけどスピではなく。笑)

時と場合によっては、自分の心を抑えて何かする場面もあるかもしれませんが、「自分の心を我慢させているな」という認識は大体あります。

 

子どもたちと遊びたい時は遊ぶ。遊びたくない時は遊ばない。

子どもたちのご飯を作りたい時は作る。作りたくない時は作らずに買う。

のような感じです。

 

とてもシンプル。

プラス、私自身の状態をちゃんと子どもに伝えます。

子どもに遊びを誘われた時に気分が乗らなかったら「ママいまそういう気分じゃないからちょっと待ってて」とか「その遊び好きじゃないから、こっちがいいな」とか。

ただのわがままですね。笑

遊びたい気分の時は遊ぶけど、そうじゃない時は遊ばない。

我慢して遊ぶのって疲れるし、大体子どもにばれます。笑

明らかに遊びに集中できていないし、楽しんでいないのがバレます。

 

母親はスーパーマンでもサイボーグでもありません。

そうあるべきだとも全く思いません。

 

常に子どもに合わせて自分の心を押さえつけていたら、それがイライラになって表面化したりいつか爆発すると思います。

子どもたち自身にも周りに合わせて自分を抑えることなく、自分の心に正直であってほしいという私の価値観があるので、

私は我慢することなく正直でいることを選んでいます。

 

私は「あなたたちのママ」だけど、「私自身」であるということを子どもに伝えたい。

つまり、あなたたちも「ママの子ども」だけど「ひとりの人」なんだよ。自由でいいんだよ。というのを伝えたいのだと思います。

 

 

でも実は、そんな私も中高生くらいまで。いや、つい5年くらい前までは、結構相手軸に物事を捉えていたし、相手のために・・・という感覚で自分が動く方が楽でした。

 

でも、自分で起業したりいろいろ学んでいく中で、私には軸がない。主体性がないことに気がつき、結構苦しみました。それまでは、自分で責任を取りたくなかったし、失敗したくなかった。

 

 

だから常に相手軸で動くことが心地よかったんです。

でもある時他人軸である自分に気がついてしまいました。

 

その瞬間、なんて私はダサいんだろうと、落ち込みました。

 

「相手のために」とか、「相手に求められたから」的な感じで、一見思いやりや忠誠心があるように見せていましたが、それは失敗したくないという恐れや、自分を守りたいという自己愛でしかなかったようです。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、そういう他人軸である在り方に違和感を感じてから自分軸で在ることを選びました。

どちらが良い悪いというのではなく、どちらを選ぶのかという話です。

 

あなたはどちらを選びますか?

 

 

私は、子どもには自分軸で在ってほしいという思いがあるので、

正直に関わるようにしていますが、そのおかげで、めちゃわがままな子に育つかもしれないし、そうじゃないかもしれない。笑

結果どうであれ、子どもたち自身が自立できていたらそれでいいのかなと思っています。

 

子育てをするしないに関わらず、仕事をしているしていないに関わらず、人としてどう在りたいかを、ちゃんと考えて言語化することであなたの可能性はどんどん広がると思います^^

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